新報
常識が生み出す生きづらさ|本願寺新報コラム01
本願寺新報 2021(令和3)年4月20日号 掲載
コラム「生きづらさ感じていませんか?」
常識が生み出す生きづらさ
お釈迦さまが「一切皆苦」と示されたように、私たちは皆、それぞれが苦しみのまっただ中を生きていかねばなりません。しかしながら、ここで言う生きづらさとは、皆が感じるものではなく大多数の人が何とも思わず気にもしないからこそ苦しさを感じるという類いのものです。
生きづらさを明確に定義することは難しいのですが、個人的には単純につらいとかしんどいとかではなく、言語化しにくいモヤモヤとした悩みを抱え、周囲に対して自分の存在に違和感を覚えるようなものと捉えています。この言語化しにくいという点は、原因が明確に自覚できないこととともに、口にしにくい内容であったり、そもそも言い表すための言葉がないような場合を含みます。多数派の意見によって形成される常識と、理想を説く道徳の前では、それと相違する想いを悩みとして表出するのは非常に難しいということの現れです。生きづらさの多くはこの、周りの人と違うという違和感、理解も受容もされないという孤立感からくるものと言えるでしょう。
例えば、性的少数者の方が感じる生きづらさというのは、〝異性〟への恋愛感情があることを当然として異端視し、悪いこと、間違ったこととして是正しようとしたり、また出産を前提としたりと、多数派の常識と都合を押し付けてくる他者によって生じるものです。周囲の理解があるなど環境によっては生きづらさなんて感じないとおっしゃる方もあり、性的少数者であること自体が生きづらさというわけではありません。
私は、「生と性と死を考える」をテーマに中学や高校などでの性教育に関わっているため、性やセクシュアリティに関する悩みに接することが多いのですが、元はホスピス、緩和ケア医療や、エイズ、HIVへの理解と支援の取り組みの中から医療、教育関係者などとの協働でつながったご縁です。宗派の中では、ビハーラや少年連盟の活動を通してキッズサンガの委員となり、現在、子ども・若者ご縁づくりで「生きづらさを抱える思春期・若者支援」に携わっています。思春期に表出するものを中心として、子ども・若者が抱えるさまざまな生きづらさを専門の講師から学ぶ「思春期・若者支援コーディネーター養成研修会」をお寺の人向けに実施している中から、どのようなところに生きづらさが生じるのかをここで紹介できればと思っています。
私たちができることは、まず知ること。自身のことでも他者のことでも生きづらさに気付くことができ、私たち自身が他者の生きづらさを作り出すことが減っていくことが大切です。
日本思春期学会理事
子ども・若者ご縁づくり推進委員会委員
古川 潤哉