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頑張りすぎな私たち|本願寺新報コラム36

本願寺新報 2023(令和5)年10月20日号 掲載
コラム「生きづらさ」

頑張りすぎな私たち

 皆さんは毎日が忙しくありませんか? 私は実に忙しい日々を過ごしております。お参りの間にお寺の掃除をし、子どもの習い事の送迎があり、メールの返信をしたら一日が終わっています。ゆっくり本でも読みたいと思いながら、机の上に積み上げた本は増えるばかりです。
 「もっと効率よくできるかも」と頭をよぎりますが、私の能力と体力ではこれ以上は難しい気がします。それでも、何かに急き立てられ、「もっと何かできるんじゃないか」という焦燥感から離れることができません。私たちは気付かぬうちに、無意識の先入観や思い込みにとらわれており、それに苦しんでいます。これをアンコンシャスバイアスといい、社会や日常生活の多くの瞬間に潜んでいます。例えば、「男性ならば経済的に家庭を支えるべきだ」とか、「女性が家事をするのが当然」といった規範や期待がそれに該当します。
 「仏教はすべての人に求められているはずだ」と思うことや、「仏教への関心は低くなってしまっている」と思うことはどちらもアンコンシャスバイアスです。いやいや、私は客観的なデータや自分の体験から冷静に判断している。そう考える人も少なくないでしょう。しかし、確証バイアスといって、自分の思い込みや願望を強化する情報ばかりに目が行き、そうではない情報を軽視する傾向が人間にはあります。特に最近では、SNSにおいて価値観や環境の似たもの同士がフォローし合う傾向があり、確証バイアスが強く働く可能性が高まっています。
 アンコンシャスバイアスは必ずしも悪いものではなく、物事をスムーズに判断するという点では役立つ場合があります。日常生活の中ですべての物事に立ち止まり、時間をかけて考察することはできません。頻繁に起きる出来事や常識的になっている事象には深く考えずにやり過ごすのが省エネになることもあるでしょう。ここで重要なのは、自分の心のセンサーが反応しているかです。自分の心が疲れた、苦しいと感じているなら立ち止まるべきサインです。「忙しいな」と思っているときは黄色信号でしょうか。その状態が自分にとってちょうどよいのかどうかは自分で判断するしかありません。先生やお医者さんやカウンセラー、他の誰かが決めることではありません。
 いじめや差別という事柄は「みんながダメだと言っているから」という理解では本質を見逃してしまいます。周りの人が作った良い悪いに従うだけでは気付かぬうちに相手を傷つけてしまっているでしょう。自分の心に敏感になれば、アンコンシャスバイアスに気付くことができます。そして、自分の心に敏感な人は、他者の心を繊細にキャッチすることもできるようになります。「忙しいな」と感じた時に自分に対して優しくできることが、他者への優しさに繋がります。お互いに傷つけ合わずに安心してゆったりと生きられる社会になってほしいものです。

子ども・若者ご縁づくり推進委員会委員
臨床心理士/
公認心理師
武田 正文
浄土真宗本願寺派久喜山高善寺 (kozen.or.jp)

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