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ネット社会も娑婆の写し鏡|本願寺新報コラム37

本願寺新報 2023(令和5)年11月1日号 掲載
コラム「生きづらさ」

ネット社会も娑婆の写し鏡

 遠く離れた人と人とを結びつける手段として、インターネットは強力です。私も学生時代に知り合って、20年ほど音信不通だった海外の友人と連絡が取れて、驚くと同時に感動したことがありました。
 生きづらさを抱えている人は、孤立しやすい傾向にあります。自分と同じ思いを持ち、悩みを共有できる人がどこにいるのかはなかなかわからないでしょうし、そもそも周囲の目が気になって言い出しにくいこともあるでしょう。ここでもネット社会は助けになってくれそうです。実際、ネット上で同じ悩みを持つ人と出会えて救われたとか、ネットでの連携がやがて大きな力となって社会を動かしたという話も聞きます。少数派であるがゆえの問題とか、表にあらわれにくい問題の解決の糸口として、インターネットは希望の存在なのです。見えなかったものを可視化し、力を合わせる場を作り出せるという特徴は、社会を生きやすくしてくれるはずです。
 でも反対に、ネット社会の否定的な面も最近はあきらかになってきました。違法なものを取引したり、犯罪協力者を集めたりするためにネットが使われることが普通になりました。変わったことをした人や立場の弱い人を見つけると、匿名でよってたかって叩く「ネット叩き」という現象もあります。そのことを苦にして病んだり、自殺したりする人もいるのは深刻な事態です。こういう負の側面を見て、ネットの意見や情報を「落書きみたいなもの」「怪文書と変わらない」などとあえて無視するという考え方もあるようです。さながら無法地帯の様相です。
 なぜこのようなことになってしまうのかというと、ネット社会にいるのが、まぎれもなく私たちだからでしょう。仏教で説く娑婆(この世)とは「苦しみを耐え忍ばなければならない世界」という意味だそうですが、娑婆の写し鏡という一面がネット社会にはあるのです。
 世界の距離を一気に縮めたのがネット社会の特徴です。古くは経典に六神通という神通力が説かれていて、その中の一つは行きたいところに行ける神足通でした。いまドラえもんの道具の一番人気は「どこでもドア」です。今も昔も人類は同じような思いを持っていて、ついにそれを手に入れたとも言えそうです。しかし私に六神通を教えてくださった先生は、一番大切なのは六つめに出てくる漏尽通であって、これのない六神通には意味がないとおっしゃいました。漏尽通とは、煩悩をなくす智慧のことです。生きている間に煩悩がなくなることは極めて困難であることは、聞かせていただいている通りです。
 ネットの中に居場所を見つけても、そこはやっぱり思い通りにならない苦の世界であるのかもしれません。しかし、少し余裕ができることで現実世界の生き方が楽になるなら、意味のあることです。さらに言うと、現実世界であれ仮想世界であれ、私たちがいるということは、救いは届いているはずなのです。

子ども・若者ご縁づくり推進委員会委員
寺澤 真琴

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