新報
変化の時代の生きづらさ|本願寺新報コラム38
本願寺新報 2023(令和5)年11月20日号 掲載
コラム「生きづらさ」
変化の時代の生きづらさ
お釈迦さまの時代から私たちの苦しみというのは変わっていないようです。遠く離れた人とスマホで会話し、新幹線や飛行機で遠くの場所へも短時間でいけるようになりました。まるで神通力が実現したかのような社会になりましたが、生きづらさに苦しんでいる人はむしろ増えているかのようにも思えます。
「生きづらさ」というのは、社会の常識に違和感がある人や、集団のなかに馴染みにくいという人が抱えるものとして論じられることがほとんどです。社会のなかで注目されにくく、支援の届きにくい苦しみを抱える人は、世界のなかで自分だけが苦しんでいるような感覚になります。そんな苦しみを理解し、手を差し伸べていく一つの場所としてお寺が存在すれば、素敵なことだなと思います。
近年の時代の変化は激しいものになっており、AIが出現したことにより社会の常識が大きく変わり始めようとしています。「自分の仕事が無くなるかもしれない」という不安が急に現実感をもって私たちの目の前にやってきました。この変化によって「生きづらさ」は一部の人たちのものでなくなり、すべての人が生きていることの不安を感じるようになりました。努力を積み重ねて、社会的に安定していて素晴らしいと考えられてきたことが、問い直される時代が来ているのです。
諸行無常という仏教の教えからすると、時代が変化していくことも冷静に、穏やかに眺めることが理想なのかもしれません。しかしながら私たちは、これまでの常識や大切にしてきた伝統が変わっていくことには葛藤があります。変わるものと、変わらないものと表現するのは簡単ですが、自分が大切にしてきたことが変化することは受け入れがたいものです。
私にとっても、自分を育ててくれた「お寺」はなんとしてでも次の時代に引き継ぎたいと思っています。ですが、これからの時代においてどのような変化に直面するかはわかりません。親鸞聖人が念仏弾圧や流罪になってもなお、お念仏を大切に守ってこられたことの覚悟はどれほど大きなものだったのか。もし自分が同じような状況になった時、それでも変わらずお念仏を喜ぶことができるだろうか。
時代が大きく変わるタイミングでは、「生きづらさ」はすべての人のテーマとなります。「自分には関係ない」と考えていた人の目の前に変化は突然やってきます。そんななかで、私たちを本当に支えてくれるものは何なのかを問わねばなりません。
親鸞聖人は激動の時代のなかでお念仏にその答えを見出されました。ご自身だけではなく、もっと広い意味での人々の「生きづらさ」と向き合ってたどり着いた答えです。私たちは、親鸞聖人のお言葉のなかに、リアルにあったはずの苦悩を感じながら、お念仏とともに、今の時代における「生きづらさ」を親鸞聖人のように命がけで問うていきたいものです。
子ども・若者ご縁づくり推進委員会委員
臨床心理士/公認心理師
武田 正文
浄土真宗本願寺派久喜山高善寺 (kozen.or.jp)