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「たまたま」の力|本願寺新報コラム40

本願寺新報 2023(令和5)年12月20日号 掲載
コラム「生きづらさ」

「たまたま」の力

 同じところをぐるぐる回っている感覚はつらいものです。「そんなの気にしなくていいよ」という誰かのアドバイスは、ほとんどの場合で役に立ちません。そんなことは本人が一番よくわかっています。「気にしなくていいのに気にしてしまう」からつらいわけで、抜け出したくてもその方法はなかなか誰も教えてはくれません。
 そんな私たちも不思議なことに、少し時間が経った昔のことになると、急に冷静に向き合うことができるようになるものです。私自身も、若いころや子どものころに悩んでいたことは、改めて考えると、実に小さなことで悩んでいました。
 クラスの友人関係に悩んでいましたが、大人になるともっと大きな世界があることを知ります。大好きな人にフラれてこの世の終わりだと思っていましたが、まったく終わりではなく、数年するとまた誰かと出会うことになります。きっと今悩んでいることも、数年すれば「あんなこともあったな」と思えるようになるのでしょう。
 しかし、こんな理屈は「気にしなくていい」というアドバイスと同じように、今、悩んでいる人にとっては全く役に立ちません。
 輪廻とそこからの解脱というイメージは、まさに私たちのぐるぐる悩む姿と重なります。
 西洋で生まれた心理学は、そこにあるさまざまな神話や物語から人の心の本質を見抜こうとしました。物語から考察するということは、論理的でない部分もあります。それでも、物語には心を動かす力があり、人生において大きな学びと気づきを与えてくれます。
 映画やマンガ、小説なども私たちに物語を届けてくれます。「悩みを解決しよう」と思って映画を見るわけではありませんが、映画に出てくる登場人物に自分を重ねてなんとなく癒されている自分に気づいたりします。意外と力を入れて「解決しなければ」と思っているときよりも、リラックスしてたまたま出会った物語が事態を進展させるのかもしれません。考え抜いたアドバイスを長々と説教したとしても、効果がないことがほとんどでしょう。人生のなかで心に残る言葉というのは、誰かがさりげなく発した言葉だったり、たまたま読んだ本だったりします。
 同じ言葉でも時間が経つとあまり響かないということもあります。言葉というのは、たまたまそのタイミング、その場所で出会った自分と相手との間で意味を持つものです。あるときには意味をなさなかった言葉が、ある時には大きく心を揺さぶることがあります。
 お聴聞にしても、カウンセリングにしても、自分の人生にとって重要な意味をなすのかどうか、それは誰にもわかりません。力を入れたからと言ってもうまくいくかどうかわかりません。リラックスしながら、たまたまの出会いを楽しみながら過ごしたいものです。

子ども・若者ご縁づくり推進委員会委員
臨床心理士/
公認心理師
武田 正文
浄土真宗本願寺派久喜山高善寺 (kozen.or.jp)

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