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末法の不安|本願寺新報コラム41

本願寺新報 2024(令和6)年1月20日号 掲載
コラム「生きづらさ」

末法の不安

 2024年は衝撃的なニュースから始まった。能登半島地震に羽田空港の事故、小倉の火事など大変な出来事が立て続けに起こって、新年を喜ぶような気分にはなれなかった。そもそも、コロナ禍、ウクライナやガザでの戦争も続いており、世界全体を不穏な空気が包んでいる。
 日本においては永承7(1052)年からが末法になると考えられていた。内乱、地震、疫病、飢饉などの災害が多く発生した時代で、人々は不安の中を生きてきた。末法というのは、世を正しい方向へと導く仏さまの教えが届きにくい時代ということであるが、実際に社会の中で起きる危機的な状況を「末法の時代だから」と当時の人々が受け止めるのは、自然なことだと思う。
 心理学の中には「集団ヒステリー」という言葉があり、ある時代の社会不安や恐怖が高まっている状態で、多数の人が同時になんらかの症状を表出することがある。社会全体が非合理な方向へ進んでしまうのも一種の集団ヒステリーともいえる。
 いじめや戦争といったお互いに傷つけあう行為は、合理的に考えればまったく意味のないことである。しかし、人間とは愚かなもので、時代のうねりの中で、人の集団の中で、同じことを繰り返してしまう。
 「日本は終わりだ」という言葉と頻繁に出会うようになった。少子化、過疎・高齢化には歯止めがかからず、経済成長という目標を掲げ続けながら達成しているようには感じられない。「世界が急速に進歩している中で日本だけが取り残されている」という空気感が定着してしまった。これは子どもも大人も、都市も田舎も同じである。仏教界にとっても同じことであり、「お寺の将来が不安」だと感じているのは私自身も同じである。いわゆる「末法」として、仏教の教えが届きにくくなることと、お寺の運営が厳しくなることは、論理が直接に結び付くものではないが、「不安」が大きくなると私たちは短絡的な判断をしがちになる。
 親鸞聖人の時代もきっと同じような空気感であったのだろう。平安から鎌倉へと時代が移る中で社会の常識も変わり、天災が頻発して人々の生活は困窮していたそうだ。しかし聖人は、比叡山という大きな流れの中に身を置きながら、自分の心に強く従い、真実を追究された。流罪という大きな困難が立ちはだかっても、その決意は揺らがなかった。もし私が同じ立場だったらと考えると、とても自信がない。「家族のために」「お寺のために」などと言い訳は山のように思いつく。多数決の多い方の流れに無難に乗っていく自分になってしまうと思う。
 今や日本も、世界も、集団ヒステリーに向かってしまうような条件が整っている。僧侶としては、社会の波に巻き込まれずに「正しさ」がどこにあるのか、諦めずに探していきたい。でも、そう思えば思うほど、そこから逃げ出したくなる自分も見えてくる。この矛盾を抱えながら、それでも希望は持ち続けたい。

子ども・若者ご縁づくり推進委員会委員
臨床心理士/
公認心理師
武田 正文
浄土真宗本願寺派久喜山高善寺 (kozen.or.jp)

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