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子どもの名前は「ラーフラ」|本願寺新報コラム43

本願寺新報 2024(令和6)年2月20日号 掲載
コラム「生きづらさ」

子どもの名前は「ラーフラ」

 私事ですが2月1日に子どもが産まれました。2760グラム。小さい体に驚きました。この小さい体で生きているというのが本当に不思議に感じました。
 お釈迦さまは出家される前には結婚し、子どももおられたそうです。名前は「ラーフラ」で、障り、束縛といった意味となるそうです。子どもの存在が世俗との繋がりとなり、出家の妨げとなるということでしょうか。自分の子どもが産まれた時にはとても不思議な気持ちになります。かわいいとか、感動するということはありますし、親としての責任を感じたり、将来の不安を抱えたり、なんとも言えない、いろんな感情が湧いてきます。お釈迦さまが「ラーフラ」と名付けられたのも理解できるような気がします。
 たくさんの方が「おめでとう」という言葉をくださいました。とてもうれしく、有り難い気持ちになります。子どもの誕生はうれしいことですが、一方で、子どもの存在が苦しみを生み出すこともあります。
 お釈迦さまのように出家の妨げになるということだけではなく、誕生してしばらくは夜はゆっくり寝られなくなるし、自分の時間は無くなります。また、成長するにしたがって、言葉遣いや勉強も気になるようになります。けんかもたくさんするでしょう。高校や大学に入ることになれば、お金もたくさん必要になります。最近は、子育ての負担から子どものいない生活を選んだり、結婚をしないという人も少なくありません。その気持ちも十分理解できます。結婚して子育てをしてというのは、苦労の連続です。
 僧侶である親鸞聖人がご結婚され、家庭生活の中で仏教と向き合おうと決意されたのは、並大抵の覚悟ではなかったことでしょう。おそらくご自身の子どもが生まれた時には、いろいろなことを考えておられたことでしょう。目の前のいのちを大切に思うとともに、その先にある苦しみも見つめておられたのではないでしょうか。災害や飢饉、伝染病の流行が多かった鎌倉時代には、たくさんの子どもたちが苦しみの中を過ごしていたことでしょう。これも想像になりますが、苦しんでいる子どもと自分の子どもを重ねて、胸を痛めておられたのではないかと思います。
 現代でも、テレビや新聞を見ていると悲惨な事件がたくさんあります。虐待や家族で命を奪い合うようなニュースを見ると、皆さんも心が苦しくなることでしょう。でもこれは他人事ではなく、子どもというラーフラは私たちに幸せな時間とともに、それと同じくらいの苦しい時間ももたらします。子どもと向き合うことは、自分と向き合うことになります。子どもの言動に自分の姿を見て、自分がどんな言葉を使うのかで自分の心が試されているかのようです。うまくいく時もいかない時も、お互いの姿から学び合えるような親子になりたいものです。

子ども・若者ご縁づくり推進委員会委員
臨床心理士/
公認心理師
武田 正文
浄土真宗本願寺派久喜山高善寺 (kozen.or.jp)

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