search button

レポート

現代版寺子屋 スクール・ナーランダ vol.2 富山

日 時: 2017年3月4日(土)・5日目(日) 10:00~17:30

会 場: 飛鳥山 善興寺、他(富山県高岡市中田4500-1)

対 象: 15歳~29歳

テーマ: 「土徳 - 土地からのいただきもの」が育むものづくり

富山県高岡市は、400年以上続く鋳物技術で日本の仏具の95%を製造する「仏具の里」。
実直で勤勉な職人たちの気質は、豊かな自然と「真宗王国」と呼ばれるこの地の精神風土(土徳)から生まれるものです。
土徳の風土の中で伝統の技を受け継ぐ富山の職人たちの魅力と課題や他力(人智を超えた「はたらき」)と芸術表現との関係について学びました。

講 師: 太田浩史先生(日本民藝協会常任理事、真宗大谷派僧侶)

観山正見先生(天文学者

能作克治先生(金属鋳物メーカー)

飛鳥寛静先生(浄土真宗本願寺派僧侶)

内藤礼先生 (美術家) ※鼎談

島谷好徳先生(鍛金職人) ※ワークショップ講師


― 講義レポート ―

<1日目>

■「土徳とは、ものと心」 太田浩史先生

太田先生.png

まず初めに、民藝の魅力・民藝に出逢う素晴らしさなどをお話しいただきました。その中で、先生が繰り返し口にされたのは「土徳(どとく)」という言葉でした。

土徳とは「らしさを生み出している目に見えない力」のことで、「ものの裏にある心」とも言えるそうで、現代を生きる我々はどうしても科学技術に頼り、均一性のあるものを美しいと感じてしまうが、それにすべてを委ねてしまってもいいものか、先生は疑問を投げかけておられました。
そして、民藝はそこに混在していても何一つ喧嘩をすることなく、むしろそこには独特のハーモニーがあり、その理由は、民藝はどれも自我を主張しないからである。
民藝ができるということはそこの土徳が生きているということで、土徳とは、ものと心である。ものとして土徳が現れると民藝品、心として土徳が現れると妙好人であり、土徳を疎かにすると民藝が成り立たなくなるし、学者が生まれたとしても妙好人が生まれることはない。

どちらも土徳が産んでいるものであり、そうして「完全無欠でなくては救ってやらんぞ!」とは決して言わない仏様の救い、仏教思想が間違いなく土徳によって私たちに伝えられてきた事をお話いただきました。



■「私たちは宇宙とつながっている。星の灰から生まれた。」 観山正見先生

はじめに先生は、国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクトが開発したソフトウェアを使って、私たちが普段想像もできないような宇宙へ連れ出してくださいました。見ているだけでワクワクが止まらない素敵な旅でした。無料でダウンロードできるソフトだそうです。

「宇宙が誕生したのはおよそ138億年前。今、私が誕生し、60兆個の細胞が今も変化し続けている。その宇宙の歴史を経て、今自分の手をみると、そこには宇宙のすべての材料が集まっている。そうして一人一人が今ここで出会った事はすごいこと。広大な宇宙はすべて私たちに関係している。」と語る観山先生は、「私たちは星の灰から生まれてきました。だから年齢を聞かれると私は138億65歳です。」と少し笑いを誘いながら、今日この日に出会えた喜びを参加者に伝えられました。

最後に「宇宙は私たちのふるさとであり、夜空を見上げると大きな問題も小さく感じ、おかげさまの私のいのちを知ることができる。星空から勇気をもらおう、明日の人生をしっかり生きよう。強く明るく生き抜きます。」と浄土真宗の生活心条から言葉をお借りして授業を締めくくられました。

観山先生.png


<2日目>

■「『競争』の時代から『共想』『共創』の時代へ」 能作克治先生

能作先生.png

鋳物(いもの)メーカーの会社を継がれた能作先生は、元は新聞社に勤められていたそうですが、能作家の娘である現在の奥様と出会い、会社を継がれたそうです。
「全国の伝統産業は売り上げや伝統を伝えるといった面で苦戦している。」と切り出された先生は、その理由の一つに和文化の消失を挙げられ、伝統産業の流通にも影響が出ていることを挙げられました。

能作の取り組みは「守る伝統から攻める伝統へ」だそうです。
「失敗を恐れてしない人は多いが、失敗も成功も悪くない。
何もしないことが一番悪い事だ」として、参加者に、いろんな事に挑戦してみてほしい事、そして仕事を好きになってほしい事を伝えられました。

自分の商品の評価を直接ユーザーから聞くことを大切にされ、他の意見を取り入れること、ものづくりの目標に外国人、子どもなどを視野にいれ、能作と地域に興味を持ってもらえるように、ファンになってもらえるようにと様々な努力を惜しまない先生から最後に一言。

「『競争』の時代から『共想』『共創』の時代へ」「争いではなく共に想い、育み、創り、関係性を築いていくことの大切さ」

仏教的な思想にも似ているなと感じられる余韻の中、その場を締め括られました。



「いのちは、いただきものから成り立ち、私たちは他によって願われたいのちを生きている。」 飛鳥寛静先生先生

「仏教とテクノロジー」、技術の歴史や、仏教が育んだものづくり、釈尊の言葉と南無阿弥陀仏の働き、六神通の教えなどを通して一般教養としての「技術やものづくり」から「仏教の教え」へと誘ってくださいました。

人類の社会は鉄の登場とともに大きく変化し、農業を発展させ、灌漑技術、収穫技術、保存技術、武器製造技術、産業革命へと繋がっていきました。
今私たちのまわりに溢れている情報、スマホ、AIについてもすべての根源はこの鉄の登場からだそうです。そして彫刻・仏具・仏教建築・繊維など、「仏教の教えを大事にする。」というところからさまざまな技術が育まれたことを教えていただきました。

そして、最後に六神通の教えを提示されました。英語で表現されておられたのが印象的でした。しかし、この六神通はいくら技術を駆使して実現しようとも私たちに全てが備わることはないそうです。それが実現されるのは、浄土に生まれた時。
どうしても私たちは今この世では素晴らしい能力を持ち合わせても他人のためには使えず人を傷つけてしまうのかもしれません。

そんな「今を生きる」参加者たちに先生は「いのちそのものが、自らのはたらきによって存在しているのではなく、いただきものから成り立ち、限られたいのちを生きている。他によって願われた命であるということを教えてくださるのが阿弥陀様の教え。」と締め括られました。

飛鳥先生.png


【R】

この記事をシェアする

おすすめ記事

page top