レポート
現代版寺子屋 スクール・ナーランダ vol.4 京都
日 時: 2019年2月9日(土)・10日(日) 9:30~17:00
会 場: 西本願寺、伝道院 (京都市下京区堀川通花屋町下ル)
対 象: 10~20代
テーマ: 十人十色の価値観が表現できる社会を真剣に想像してみる。
インターネットなどテクノロジーの発達によりさまざまな新しいコミュニティも出現している時代にあって、多様な価値観や個人のあり方が共存していくにはどうしたらよいのか。
ファッションやダンスの世界で表現するクリエーターや進化論から人類を見つめる科学者、文章をコミュニケーション手段とするライター、そして「仏さまの世界」という超越的な視点をもつ僧侶に学び、ともに考えました。
講 師: 皆川明先生 (minä perhonen代表、デザイナー)
島地保武先生 (ダンサー、振付家)
藤丸智雄先生 (浄土真宗本願寺派僧侶)
佐倉統先生 (科学論研究者)
夏生さえり先生 (フリーライター)
武田正文先生 (浄土真宗本願寺派僧侶/臨床心理士)
― 講義レポート ―
<1日目>
■「A4用紙に書いた「せめて100年」」 皆川明先生
先生がファッションの仕事に就こうと思いたったのが18歳の頃。 26歳で会社を立ち上げられた時、「労働への価値を見出す」や「新しいものづくりの環境を生み出す」を目指し、近江商人の三方良し(売り手よし、買い手よし、世間よし)に、「作り手よし」、「未来よし」という言葉を足され、衣服によって人生の喜びが心地よく伝わっていくことを話されました。 人生で良い事、悪い事、成功失敗色々あるけれど、その事象にどの様に向き合うのかが大切であるとお話しくださいました。 |
■「気持ち悪いか綺麗なのかも分からないギリギリなところに魅かれる」 島地保武
膝の半月板損傷の中、登壇をして下さったダンサーの島地先生。 このモダンダンスをはじめられた時の印象は「理解できない。気持ち悪いか綺麗なのかも分からないギリギリなところに魅かれた」です。 島地さんは、常に根拠の無い自信をもっていると仰っていましたが、これは今まで積み重ねてきた経験や、培ってきた直感を大切にされていると感じました。 |
■「自分らしさ」 藤丸智雄先生
先生は、大学で講義をなさっている時に学生に質問して、どの様な回答がくるのかを調査されています。そこで、必ずみんなの意見が一致する質問があるとのこと。それは、「自分らしさは大切だと思いますか?」。答えは「大切である」に一致。 「自分らしさ」は2500年以上昔アリストテレスが言われ、現在においても課題とされています。しかし日本において「自分らしさ」の実現は難しいそうです。なぜなら日本は「自分らしさ」の反対の言葉「同化圧力」が強い国であるからです。 同化圧力に縛られて自分らしさが出せない状態が、私たちの抱えている問題となります。この問題に対して「誰かの自分らしさ(他人らしさ)を承認していくこと」「自分の身の上に起こっている事を事象として理解するのではなく、物語を通してみていくこと」の2つの視点を挙げられました。 |
<2日目>
■「科学の知識は日常では使えない」 佐倉統先生
「科学は正しい」とか「科学によって世の中が便利になる」と思われているが、はたしてそれは真実なのであろうか。先生は科学の視点を通し、私たちの「自分らしさ」を探るお話をされました。 私たちは生活を営む中に知識を使います。この知識に「科学知」と「生活知」の2種類があるそうです。「生活知」とは、私にとって必要な物は何かを知る知識であり、そこにプロセスは不必要。それに対し、直感ではなくプロセスを大切にするのが「科学知」。この「科学知」と「生活知」の切り替えを適切に行うことが大切だそうです。 |
■「私をつくるのは、私以外」 夏木さえり先生
「何をすればよいのだろう」「何がしたいのだろう」「なんで普通に進めないのだろう」「なんで人と同じことができないのだろう」と悩み、小さい時から立ち止まる(何故と考える)癖があり、人と接することに疲れ、学校が嫌い。 大学時代の就職活動時期には、周囲との温度差を感じて自分の部屋から出られなくなってしまった過去を持つ先生。その引き籠り生活の中で、生きやすさを手に入れたのがネット。 ネット上で、「自分と同じ人をみつけた」「自分と違う人に出会った」「才能を見つけてもらった」という出会いにより「私を形づくるのは、私以外」と感じ「他人に喜んでもらえることをしよう」と思われた。 最後に自分の軸が決められない方へ、「やりたくないことだけをきめる」「まずは出す、見せる(才能は人がどう受け取るかは出してみないと分からない)」「他人と自分の境界線はしっかり引く」「ダメならやめればいい」とアドバイスをくださいました。 |
■「いのち」のつながりから見えてくる私の心 武田正文先生
心理学を学ばれ、スクールカウンセラーもされている僧侶の武田先生。 「仲間や家族の中で、自分にしか出来ないことがある。それを一生懸命がんばっていくのが生きる意味。」と「人間はどうせ死んじゃう。最後の最後どれだけ人生がんばって偉くなっても、どれだけお金を稼いだとしも、最後死んじゃったら何もなくなるから意味ないじゃん。」という意見です。 私たちは、死を目の前にした時、「生きる意味があるのか」という問いを持つと、確かな答えを出せなくなってしまいます。それは、私たちが抱えている苦しみや悩みを生み出す「煩悩」によるものなのだそうです。 先生は、自身が抱えている「煩悩」を頼りとするのではなく、仏さま(苦しみを解決された方)からの呼びかけを頼りにしてみてはいかがでしょうか。その呼びかけは、私に「あなたのいのちが素晴らしい」と綺麗な心を届けて下さっています。それを頼りとした時、沢山のいのちに支え願われている「自分らしさ」に出会えるのではと「自分らしさ」に悩む私たちに、仏教・浄土真宗の視点を通し、一つの方向性をお話し下さいました。 |
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