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レポート

現代版寺子屋 スクール・ナーランダ vol.7 東海

日  時: 2023年3月4日(土)・3月5日(日) 93017:10

会  場: 本願寺名古屋別院(愛知県名古屋市中区門前町1番23号)

テ ー マ:  共鳴〈いいね!〉か、断絶〈ブロック〉か。
       「言葉」によるコミュニケーションのはじまりと現在

他者を理解し、共に生きるためのコミュニケーション手段が、同時に断絶も引き起こしている私たちの世界。そもそも人類はどのように「言語」を獲得したのか、言葉の起源と現在、そして未来のあり方を共に考えました。

講  師: モーリー・ロバートソン先生 (国際ジャーナリスト・ミュージシャン)

      葛野洋明先生 (浄土真宗本願寺派僧侶)

      岡ノ谷 一夫先生 (動物行動学・生物心理学者)

      西村宏堂先生 (アーティスト・僧侶)

      荻上チキ先生 (評論家)

      鹿子澤拳先生 (表現者・ダンサー)

      野呂 靖先生 (浄土真宗本願寺派僧侶)

      
― 講義レポート ―

<1日目>

■「分別をこえてゆく世界」 葛野洋明先生

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 葛野先生は、アメリカ・ロサンゼルスのお寺で僧侶として勤めた際に、ジョークのオチや笑い話など英語のネイティブの会話に置いていかれ、みんなが楽しく喋っているなかで、ぽつんとひとりぼっちになった感覚、自分の居場所が奪われたような感覚があったと振り返られました。

 そして、言葉が通じないことによって、ひとりぼっちになる感覚を味わっているのは、自分だけではないのではないかと投げかけられました。また、私たちは、好きな人とは一緒にいたい、嫌いな人とはいたくない、どうでもいい人はどうでもいいと思ってしまうが、これは自分勝手に分別(ふんべつ)し、分けていく姿であり、仏教では迷いの姿とされていることをお話されました。

 そして、私たちの世界が、言葉を使うことによって、分けていく世界である一方で、仏様の世界は、あらゆる分別(ふんべつ)をこえていく世界であると伝えてくださいました。



■「コミュニケーションとは
」 岡ノ谷 一夫先生

 岡ノ谷先生は、人間は言語を習得してすごいといわれるが、幸せなのだろうか?他の動物は言語を使っていないが幸せなのでは?と問いかけられました。

 動物の言語の語彙と思われるものは20種類ほどあり、それはほとんど食べ物や危険・求愛に関する決まったものであるのに対し、人間の語彙は数万の単語を持ち、それらを組み合わせると無限の言葉を持っているので、動物の言葉といわれているコミュニケーションと人間の言葉のコミュニケーショは全く違うものであると仰いました。

 また、発話行動は正直な信号で、語彙がたくさんあると知的な信号になるとしたうえで、動物は基本的な信号しか発しないため、正直で、語彙を多くもつ人間の信号は正直じゃないことがあるとお話されました。しかし、その正直ではない信号、言語に基づいて、文化を作ったとも言えるとしたうえで、今のコミュニケーション、SNSのテキストは、文字の内容は伝わるが、言語を発した人が正直な信号を発しているのかはわからないと指摘されました。

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<2日目>

■「それぞれの色で輝く」 西村宏堂先生(オンライン授業)

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 西村先生は、ご自身の経験を振り返るなかで「自分が自分らしくいたら、悪者になっちゃうんじゃないか、悲しくなったり、自分が好きなように生きていけないのでは?」と心配になったことがあるとお話されました。

 そのうえで、ご自身のセクシャリティについて、『仏説阿弥陀経』の一説「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」を紹介され、それぞれの人はそれぞれの色で輝くことで美しい。それが大切だと聞いて、自分のセクシャリティも、自分のままでいてよいと思えたと仰いました。

 そして、辛い経験もしてきた自分だからこそ、自分らしく生きることによって、みんなの力になりたいとお話されました。


■「情報収取→自覚
」 荻上チキ先生

 荻上先生は、ご自身の仕事について、調べて書く、調べて話す、調べて伝える、考えて言語化していく仕事であると仰いました。

 そして活動のひとつとして、ウクライナ調査について触れ、現地調査に行くと色々な矛盾を感じることがあるとお話され、日本にいると戦況や国際情勢が報じられるが、細かくみていくと避難している方の生活、生活支援の必要性、さらに性的マイノリティ、民族マイノリティ、女性、子ども、高齢者、障がい者など色んな当事者の方がいて、そうした方の実相に伴った支援が必要であると伝えられました。

 また「培養理論」から、メディアがどのようなイメージを「培養」するかを自覚し、必要な更新を行うことが必要であり、私たちは知らないうちに、発信された情報のイメージを定着させたまま、議論をしていることを自覚しなければならないと仰いました。

 そして、誰かを中心とした社会がそのつど作られているが、そこからこぼれ落ちる人がいるので、そこに提起をしていくと力強くお話されました。

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■「自分ってどんな人?
」 鹿子澤拳先生

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 鹿子澤先生は、「自分って何者⋯?」と今も実は悩んでいて、「ありのままの自分って何?」という問いに対してもその答えはまだ分からない、正解はない、でも、「"かのけん"は"かのけん"」と伝えてくださいました。

 また「多様性」という言葉についても、みんなそれぞれの人生を歩んでいるから、自分一人の人生だけで「多様性」という言葉を片付けるのはちょっと難しい。「あなたの考え、みんなの思いを理解しましょう!」ということでもない。それを見て、感じて自分がどう思うんだろうと自分に問う。

 多様性と叫ぶ前に「自分ってどんな人?」と考えることが大切であると伝えてくださいました。


■「つながりと言葉」野呂靖先生

 野呂先生は、「縁起」という仏教の考え方から、私たちはいろんなひとの支えとか助けを借りながらこの社会を生きているとし、言葉は自分を傷つけて、縛るものでもあるが、誰かを支えたり助けたりする言葉もあると仰いました。

 閉じられた言葉、とらわれた言葉、自分と他心を縛る言葉ではなく、自分と他心を開いていく言葉との出遇いとして、親鸞聖人の言葉を紹介されました。

「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す(『教行信証』)」

 野呂先生は、「確かな支え、よりどころとなる存在があることを、今から850年前のお坊さんが教えてくれた。自分だけで生きていくんじゃないんだ。支えてくださる仏様がいらっしゃる」と伝えてくださいました。

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